今回は、歌人であり作家でもある東直子さんの連作短編集「とりつくしま」を紹介します。
この本は5年くらい前に初めて読んだとき「いい本だったな」と感じ、著者の他の作品にも興味を持つきっかけとなったものの、「いい本止まり」で特筆すべき点はないという印象でした。
それが今回書評のために読み直してみると、以前読んだ時よりも心を鷲掴みにされ、しばらく胸に残るものがありました。
どうしてこんなにも受ける印象が変わったのか自分でも驚きましたが、ふと考えてみると1つ心当たりが……。
「とりつくしま」は「死」をテーマにした作品です。
5年前と現在での大きな違いといえば、結婚して子供ができたこと。
子を持つ親になったからこそ、「死」について、よりリアルに考えさせられたのかもしれません。
温かさあり、切なさあり、ユーモアあり。
更には悲しみや、恐ろしさもあって……。
なんとも心を揺さぶられる奥深い作品です。
私の好きな本ランキングを作ったら、間違いなく上位にランクインすること間違いなし!
今回はそんな「とりつくしま」のブックレビューをお届けします。
あらすじ
この世に未練を残して死んだとき、あなたが望んだ「物」にとりついて現世に戻ってくることができます。
それが「とりつくしま」。
その案内をする「とりつくしま係」は、あなたの希望を聞いて「とりつくしま」の契約をしてくれます。
役所のように手続きを済ませると、死んだあなたは「なりたいと望んだ物」にとりつくことができるのです。
しかし、どんなものにでも「とりつく」ことができる訳ではなく、人間や動物や植物といった魂の先住人がいる“生きているもの”を「とりつくしま」に選ぶことはできません。
とりつくことができるのは、コップやカメラや日記帳といった生命の宿っていない「物」であることが条件です。
物になってまわりを見たり、人の声を聞いたりすることはできますが、あなたから何かを伝えることはできません。
また、その物が壊れたり半分以上消失したりすると、「とりつくしま」もおしまいです。
恋人が使うマグカップや、家族の疲れを癒すマッサージ機、はたまた母の補聴器などのあなたが望む物になって、もう1度だけこの世を体験することができるのです。
愛する妻を見守りたい、大好きなママと遊びたい、大切な息子のそばでほんの少しだけ過ごしたい。
「死」と向き合い「もしも〜だったら」という世界を味わえる、切なくて温かい短編小説です。
書評
「とりつくしま」は1話15〜20ページ程の同じテーマで進む連作短編集ですが、1話ずつテイストが異なり抱く感想が異なります。
まるで公務員のような手続きをする「とりつくしま係」はユーモアがあり笑わせてくれる話なのかと思いきや、心温まるストーリーや恐ろしさを感じる場面もあり、非常に奥深い作品です。
特に私の印象に残った3話目の「青いの」は、幼稚園に通う子供が“大好きだった青いジャングルジム”になってママが遊びにくるのを待つ話。
私は電車の中で読んでいたので必死で泣くまいと我慢しましたが、結局こらえきれずボロボロと泣かされました。
書評を書くために何度か読み返していますが、この話だけは何度読んでも切なすぎて胸が熱くなりますね。
以前読んだ時はそれほど印象に残っていなかった話なので、実際に親になって感じることが変わったのかもしれません。
幼い子供は浅はかで、いじけやすく、そして素直であるが故にけなげです。
「ぼく、いい子にしてるから、会いに来て」とママを待ち続ける姿はいじらしく、切なさが胸を締め付けます。
子供を持つ親ならばその想いをひとしお感じるはずです。
ただの“いい話短編集”ではない
「とりつくしま」はただの“いい話短編集”ではありません。
物になって現世に戻ってくることで未練を断ち切る人もいれば絶望する人もいます。
大半を消失したり、とりついた物が壊れたりすれば「とりつくしま」も終わりますが、もし壊れなければ長く続くはず……。
青いジャングルジムになった子供は何十年もジャングルジムが壊されなかったら、一体どうなってしまうのだろうと心配にもなります。
お涙頂戴的な話だけでなく、切なさ、哀しさ、おかしみ、甘酸っぱさと、様々な感情が渦巻き考えさせられるところがこの本の良いところ。
ラジオドラマや公民館などで朗読にもよく使われるようですが、それは納得ですね。
声に出して読まれることで様々な感情がまさに“心に響く”作品だと思います。
「死」について考えさせられる本
今回「とりつくしま」を読み直して「死」について改めて考えさせられました。
死んだ人が「物にとりつく」という考え方は「物に魂が宿る」という、いかにも日本的な考え方であり、個人的には好感が持てる話です。
物に魂が宿っている存在=九十九神(つくもがみ)という言葉があるくらいですからね。
しかし、私がこの数年間で経験した「死」に対する感覚と少し異なるところがあります。
あまり明るい話ではありませんが、私はここ数年間で友人を5人亡くしています。
3人が自殺、1人が病死、1人が事故死です。
亡くなった友人たちとは、それぞれ仲の良さや付き合いの長さが異なることもありますが、明らかに亡くなってから差を感じます。
どんな差があるのかというと、ある亡くなった友人は頻繁に思い出すのに対し、別の亡くなった友人は全く思い出すことはないといった違いがあること。
この感覚が理解されるのかわかりませんが、よく思い出す友人は、死んだ後に小さくなって私の所にも来てくれたのだと感じるのです。
私の考えでは、死んだ人は「とりつくしま」のように生命のない1つの物に宿るのではなくて、小さく分裂して人の心の中にいてくれる存在。
もちろん自分の所には来てくれない人もいます。
「とりつくしま」の声は決して聞こえませんが、私のところに来てくれた友人は私の中にいて、私の考えの指針になってくれることもあるのです。
この本を読んで「私なら何にとりつくだろう?」と考えたとき、そんな自分の経験から物にとりつくのではなく、できるだけ小さくなって大切な人たちの心の隅にいたいと願います。
まとめ
「とりつくしま」は「いい本を読んだな」としみじみと感じさせてくれる作品です。
1話の長さも短いため、寝る前に読む本としてもオススメ。
歌人という職業が影響しているのか、東直子さんの作品は声に出して読む「おはなし」という感覚がぴったりです。
子供が大きくなったら「死」に向き合うきっかけの本として読んで欲しい作品でもありますね。
私が小学校の図書館の司書だったら間違いなく蔵書に加えます。
私と同じように大切な人を亡くした方にも読んで欲しい、じんわりと心温まる作品です。