本多孝好の「真夜中の五分前」は運命に翻弄された喜劇と悲劇を描く恋愛小説

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先日、知念実希人さんの「レフトハンド・ブラザーフッド」を読んで、印象的だった双子の物語があったことを思い出しました。

それが今回紹介する本多孝好さんの「真夜中の五分前」です。

一卵性双生児が抱える“アイデンティティを揺るがす苦悩”を描いたこの作品は、「side-A」と「side-B」に分かれた上下巻構成なのですが、2冊の物語は喜劇と悲劇ほどの差があります。

初めて読んだのは15年くらい前になりますが、私は悲劇的な「side-B」がどうしても受け入れられず、読み返すにもためらいを感じるほどでした……。

若い頃に受け入れられなかった「side-B」ですが、今読んだらどんな感想を抱くのか気になり久しぶりに読んでみると、やはり当時とは違った感想を抱き、今まで気づかなかった視点にも気づくことができました。

今回は、運命に翻弄された喜劇と悲劇を描く本多孝好さんの恋愛小説「真夜中の五分前」のブックレビューをお届けします。

五分ズレた世界で回り出す運命の歯車

小さな広告代理店に勤める僕は、学生時代に事故で失った恋人の習慣であった「五分遅れの目覚まし時計」を今でも使っています。

その五分ぶん、僕は社会や他人とズレて生きているようでした。

仕事仲間や学生時代の友人だけでなく、恋人でさえも希薄な関係しか築けない僕は、それに対して悲観も後悔もなく、 どこか欠落した感情を受け入れて過ごす日々。

そんなある日、一卵性双生児のかすみと出会います。

かすみは自分と全く同じDNAを持つ双子の妹が存在するが故の悩みと失恋の傷を抱えていました。

かすみの相談に乗り、彼女を支えているうちに僕とかすみは次第に親密になっていきます。

偶然の出会いから動き出した運命の歯車は、果たして五分ズレた世界と噛み合って、うまく廻っていくことができるのでしょうか。

「2つで1つ」がキーワードのミステリアスな恋愛小説です。

恋愛小説が嫌いな人に読んでほしい恋愛小説

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「真夜中の五分前」は「side-A」と「side-B」に分かれた上下巻構成の作品ですが、この2冊の物語の印象は全く異なります。

運命の出会いから愛を実らせる喜劇のような「side-A」に対し、「side-B」を一言で表すと悲劇です。

2冊の装丁も“昼”と“夜”のようなコントラストが印象的で、物語の明暗が一目でわかります。

ジャンルは「恋愛小説」になりますが、甘ったるさはなくミステリー感が強いのが特徴です。
そのため、恋愛小説が苦手な人に読んでほしい恋愛小説の1つと言えます。

文章全体に独特なテンポがあり、飄々とした主人公が繰り広げる理屈張った会話が面白い、本多さんらしい作品です。

双子であるが故の苦悩を抱えるヒロイン

この物語のヒロインである“かすみ”は一卵性双生児の双子で、妹の“ゆかり”と全く同じDNAを持っています。

2人は親でさえ見分けることができないほど顔も声もそっくりです。

子供の頃から時々入れ替わる遊びをして、お互いの出来事を毎日報告しあっている内に、いつの間にかどちらが“かすみ”でどちらが“ゆかり”なのか、わからなくなってしまいました。

焦った2人はある日を境に「今日から私が“かすみ”で、あなたが“ゆかり”」と決め、それぞれの道を歩むことに。

しかし、別々に過ごしても似たような友人に囲まれ、好きになる異性も似た顔ばかり。
お互いの誕生日プレゼントが同じだったこともあるほど2人の考えはいつも一緒でした。

そんな中、妹のゆかりの婚約を機に、かすみは自分の運命に抵抗して生きる道を選びます。

“自分と全く同じDNAを持つ人がいる”ということは“自分の分身がいる”ようなもので、「これこそが唯一無二の本当の私だ」と言える自己同一性がありません。

「なぜ自分ではなかったのか?」「私である意味があるのか?」とかすみは感じてしまい、自分の存在を否定してしまいます。

5分遅れの世界に生きる主人公

主人公の僕は6年前に死んだ恋人の習慣であった五分遅れの目覚まし時計を今でも使い続けています。

好きな人と出会い交際を重ね、亡くなった恋人とも区切りをつけて決別をしたにも関わらず、主人公は五分遅れの目覚まし時計の針を進めませんでした。

かすみとの新しい愛を知ってもなお五分遅れの世界から抜け出せなかった主人公は、結局愛する人と今を生きる勇気が持てなかったのでしょうか。

私が長い間「side-B」を受け入れられなかった理由は、物語の根底の部分に「救いがない」と感じたからです。

一見するとこの物語のテーマは人との縁による「喪失と再生」にも見えるのですが、微妙に納得できない霞んだ世界が鎮座しています。

つまり「再生」の部分が希薄で、そこには何もなかったというやるせなさが残るのです。

そのため15年前に初めて読んだときは、「side-B」が一体何のために存在しているのか全く理解できませんでした。

15年ぶりに再読して、「愛」について考えさせられた!

実際には存在しないけど、名前をつけて作り出したものがあります。

お互いが持ち寄った幻想が磁場を作り、周りや自分たちを巻き込んで初めからそこにあったかのように姿を表すもの。

それが「愛」なのかもしれません。

「愛」は存在しませんが、お互いが「存在する」と信じ込めばそこに生まれます。

もしどちらかが否定すれば初めからなかったことに気付くだけ。
失うものは何もありません。

愛したのは誰?

では、もし自分の分身が存在したら、その愛を証明することができるでしょうか。

「side-B」では「愛したのは誰なのか?」という深いテーマが語られます。

愛する人は条件さえ整えば誰でもなり得るはずで、 その人じゃなければ成り立たない理由はありません。

まして、全く同じ遺伝子を持つ双子であれば、出会ったタイミング次第ではどちらでも愛することができたはず。

「愛は実際には存在せず、相手は誰でもなり得る」というのは少しひねくれた考え方ですが、真理を得ているような気もします。

しかし、もしそれでも“愛した人がいる”と信じ続けることができたなら、存在しなかったはずの「愛」はなくならず、そこには希望を感じます。

この解釈に至るには「side-B」の物語が必要不可欠です。
今回再読をして、どんな物語にも救いがあることに気付くことができました!

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まとめ

「真夜中の五分前」は一卵性双生児が抱える“アイデンティティを揺るがす苦悩”を描いた恋愛小説です。

甘ったるさは全くなくミステリー色の強いこの作品は、「side-A」と「side-B」の上下巻に分かれており、この2冊の印象は全く異なります。

喜劇のような「side-A」に対し、「side-B」を一言で表すと悲劇です。

今まで悲劇的な「side-B」が受け入れられずにいましたが、今回再読して書評のために深く考察した結果、初めて理解することごできました。

「愛」について考えさせられ、どんな物語にも救いはあると気付かせてくれる作品です。