原田マハの「まぐだら屋のマリア」を読んで号泣したのは私だけではないはずです。
こんなにも泣いて癒された本は他にありません。
私が本を読む理由のひとつは、本という世界の中で思い切り泣きたいからです。
大人になると泣くほど感情を揺さぶられる出来事なんて滅多に起こらず、普段の生活で涙を流す機会はなかなかありません。
それでも、いつか絶望して疲れ果て、生きる希望を失うときがくるかもしれません。
実際、私もそういう日がありました。ですが、そんな時に限ってうまく泣けませんでした。
人は泣きながら産まれてきたくせに、大人になるにつれて泣くことがどんどん下手になっていくようです。
もし、涙も出ないほど傷つくことがあったとき、この本を手にとってみてください。
今回は、涙で心温まる「まぐだら屋のマリア」のブックレビューをお届けします。
あらすじ
神楽坂の老舗料亭で修行を積んでいた主人公の紫紋(シモン)は、料亭での偽装事件をきっかけに夢や仲間を失い、現実から逃げ出します。
知り合いが一人もいない場所に行きたい……そこで人生を終わらせよう。
そんな思いで遠くへ遠くへとさまよい続けた紫紋が辿り着いたのは、「尽果(つきはて)」というバス停。
ここから物語がはじまります。
空と海と山と道路以外はなにも無く、ペンキで塗られた「尽果」という悲惨な名前のバス停がぽつんと立っているだけ。
道の先を見ると崖があり、その崖っぷちギリギリに今にも倒れそうな一軒の小屋が建っていました。
人生最後の場所を探し求めていた紫紋は、吸い寄せられるようにその小屋へ向かって歩き出します。
そこでふと感じるたのは、華やかなカツオ出汁のいい香り。
廃屋のように見えていた小屋は「まぐだら屋」という名の定食屋でした。
紫紋はそこで食堂を切り盛りしているマリアという女性と出会うことに。
マリアは突然現れた素性のわからない一文無しの紫紋に食事をさせ、眠る場所まで与え、救いの手を差し伸べます。
「自分の人生を終わらせよう」と思い詰め、頑なに縮こまっていた紫紋の心は、マリアの料理と慈愛の心で解きほぐされていきます。
成り行きからまぐだら屋で働くことになった紫紋は、料理を通じて人の役に立つことで自身が癒され、どん底から生き直す勇気を得ていきます。
様々な出会いの中で人を思いやり、生きる希望を取り戻していく再生の物語です。
書評
私が「まぐだら屋のマリア」を読んだきっかけは、原田マハさんの小説が好きだからです。
著書はほとんど読んでおり、私の中では「当たり」が多い作家として何の不安もなく読み始めました。
「まぐだら屋のマリア」を読んで、マリアに心を奪われたのは言うまでもありません。
情に深く愛に溢れた人柄に、誰もが癒されるはずです。
タイトル通り、マグダラのマリアをイメージされており、他の登場人物も「シモン」や「マルコ」など、イエス・キリストの12使徒を連想させます。
諸説ありますが、マグダラのマリアといえば「聖女であり娼婦でもあった」という過去を持ちますが、その極端な設定は名前だけでなく「まぐだら屋のマリア」にも引き継がれています。
また、物語の端々で登場する女将や地元の人が扱う「方言」にインパクトがあり、遠い田舎の地に実際いるような錯覚を覚えます。
「どがして、こがな田舎に来なっだいな?(どうしてこんな田舎に来たのか?)」
「入ってごしなれ(入ってください)」
特徴的な方言ですよね。調べてみると、山陰地方の言葉みたいで、まるで尽果の地にいるかのような雰囲気を味わえます。
タイトル、人物名、方言などユニークな手法で作られており、気づけば本の中にある「尽果の地」にどっぷりと入り込んでいきます。
母が子を想う気持ちは何よりも強い
「まぐだら屋のマリア」を読んで、私が一番に伝えたいことは母の愛情は偉大だということです。
母が子を想う気持ちは何よりも強いということに気付かされます。
思春期を迎えたあたりから、特に男は母親の愛情を鬱陶しく感じるものです。
思春期を過ぎてもその感情とうまく折り合いをつけられず、しこりを抱えたまま大人になってしまう人もいるでしょう。
私はまさにそうでした。いつまでも母に世話を焼かれることが恥ずかしく感じ、必要以上に会話もしませんでした。
社会人になってからはすれ違いも増え、早く親から離れたいと考えるように。
実際に一人暮らしを始めると、滅多に実家に帰ることもせず、メールが来てもろくに返さないという有様です。
そんな時に私は「まぐだら屋のマリア」に出会い、そこで語られる母の愛情を目の当たりにして思わず涙がこぼれました。
「親の心子知らず」とはまさにその通りです。
「まぐだら屋のマリア」を読んで、私は母に対して素直になれるきっかけを得ることができました。
母は子の帰りをいつまでも待っています。
忙しかったり、遠かったりして、なかなか帰ることをためらってしまいますが、「まぐだら屋のマリア」を読むと故郷に帰りたくなります。
耐えられないほど辛いことがあって、生きていく気力を失ったとき、紫紋と同じように全て捨てて逃げ出してもいい。
しかし、誰にでも帰る場所があるということを忘れてはいけません。あなたの帰りを待っている人が必ずいます。
人を思いやることで、自分が癒されていく
物語が中盤に差し掛かると、丸狐(マルコ)という青年が登場します。紫紋と同じように生きる希望を失い尽果にたどり着いた丸狐……。
そんな彼に今度は、まぐだら屋で人の優しさを知った紫紋が親身になり、優しく接します。
消えそうな火を風から守る時、実は自分が暖かいように、紫紋は丸狐を思いやることで自分自身が癒されていることに気づきます。
丸狐が過去の出来事を告白するシーンがあるのですが、胸が痛くて聞いていられないほど心を揺さぶられ、私は電車の中でそのシーンを読んでいましたが、辺り構わず号泣してしまいました。
それくらい丸狐の言葉が胸に刺さり、やるせない気持ちになりました。なんとか彼が立ち直り幸せになって欲しいと願わずにはいられません。
マリアの過去も壮絶です。死ぬことよりも辛い道を選び、尽果の地で罪を償うために生きています。
辛い過去を経験し、誰よりも寂しさを知っているからこそ、人に優しくできるのかもしれません。
「まぐだら屋のマリア」を読む私たちも、自分の経験と重ね合わせて登場人物を思いやることで、いつの間にか自分自身が癒されていることに気づかされます。
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原田マハ作品について
「まぐだら屋のマリア」は前向きになれる小説です。物語の内容は決して明るくありませんが、読み終わると勇気が湧いてきます。
原田マハさんの作品に共通して言えますが、使われる言葉が暖かく、胸にそっと入ってきます。
いつの間にか物語に引き込まれる文章力は「さすが!」の一言です。
山本周五郎賞を受賞した「楽園のカンヴァス」が著書として有名ですが、美術を小説の中に融合させた作品は他の作家ではあまり見られません。
今作も「マグダラのマリア」がモチーフとなっており、その世界観が物語とバシッと合致してくるところがお見事!
ところで、原田マハさんはとんでもない経歴を持った作家さんでもあります。
関西学院大学を卒業したのち、広告プロダクション、マリムラ美術館、伊藤忠商事と職を転々とし、森美術館のチーフコンサルタントになったり、早稲田大学の美術史科に編入して卒業したり、ニューヨークのMOMAに勤務したり……。
原田マハさんのプロフィールを読むと10分位かかります(笑)。
最終的に作家に落ち着くまでとんでもない経歴の嵐です。バイタリティ凄すぎ……!
そんな経験豊富な原田マハさんの作品は、やはりどこか前向きで勇気を分けてもらえるような作風が特徴です。
まとめ
今回、「まぐだら屋のマリア」のブックレビューを書くに当たって、インターネットでの評価はどんな感じなのかと思い検索してみました。
「原田マハ作品おすすめランキング!」といったレビューを書いているブログをいくつか見つけましたが、「まぐだら屋のマリア」はあまり取り上げられていませんでした。
こんなにいい本なのに、埋もれさせておく訳にはいきません! なので、私は声を大にしておすすめします。
「まぐだら屋のマリア」は素晴らしい本です!
本を読んで涙を流すなんて考えられないという方もいらっしゃると思いますが、涙もろい人は電車の中で読むのは危険です。
私のように、混雑した電車の中で涙がとまらなくなってしまいますよ。
「まぐだら屋のマリア」は、「いい本を読んだな」とじわじわと感じられる作品です。
何かに挫けた時に、ぜひ手にとってみてください!
もしよかったらコメントお待ちしております!
「まぐだら屋のマリア」や原田マハさんの作品についての感想はもちろん、他にも今後感想記事を読みたい作品のリクエストなど、どしどしお寄せください!!