今回紹介する作品は、文喫の“選書”サービスを利用して「泣ける本」をリクエストした際に選んでもらった1冊、ジョン・ウィリアムズの「ストーナー」です。
「日本文学のノンフィクションの泣ける本をできれば文庫本で」というリクエストに対し、「リクエスト外ですが良かったら」と外国文学のハードカバーでしかも2,600円もするこの作品を紹介されたとき、驚きましたがすぐに買おうと決めました。
本の装丁に惹かれたこともありますが、あえてこの条件でも紹介してくれたところに魅力を感じたのがその理由です。
期待して読んでみると、読むごとに引き込まれるストーリーは切なさに溢れており、文章が美しく翻訳も素晴らしい作品でした。
50年以上前に刊行されたとはとても思えない、現代社会においてもリアリティーを感じさせる、平凡な男のありふれた人生を描いた作品です。
今回は、ジョン・ウィリアムズの「ストーナー」のブックレビューをお届けします。
平凡な男のありふれた人生が描かれた美しい小説
貧しい農家に生まれ不遇の少年時代を過ごしたウィリアム・ストーナーは、1910年に19歳で農学部の新入生としてミズーリ大学に入学をします。
生活に役立てる農学を学ぶために実家を遠く離れ、いとこの農場に居候をし、奉公として農作業に明け暮れながら勉学に励む日々。
そんなある日、必修科目であった英文学の授業に感銘を受けたストーナーは、生まれて初めて自分の生きる道をさとります。
親にも相談しないまま農学部生としての履修を中断して文学部へと転籍し、文学史号を取得したあとも実家の農業は継がず大学に残り、教師となる道を選ぶことに……。
やがて常勤講師となったストーナーは、美しい女性と出会い恋に落ち結婚をしますが、その頃から人生に陰りが見えはじめます。
戦争が繰り返されるなか、大学での人間関係や出世のための人事、結婚生活や住宅の購入、また子育てに到るまでまったく思い通りにいきません。
困難の連続で人生は崩壊の一途を辿りますが、ストーナーは生活の中で細やかな輝きを見つけては、その情熱や幸福を握りしめ我が道を進みます。
不遇のようで幸福な人生を送った男の一生を綴った、悲しいまでに純粋な物語です。
深い悲しみと幸福で溢れた人生
ストーナーの人生は読んでいて辛いほどに過酷で、不遇で、一見すると不幸の連続です。
特に結婚生活は険悪で、この先どうなってしまうのだろうという不安な思いに駆られます。
その不安を掻き立てる1番の要因は、ストーナーの妻であるイーディスの情緒不安定さ。
この本を読んだ独身男性は結婚に夢がなくなってしまうのではないかと心配に思うほど、とにかくイーディスは恐ろしく、ヒステリーを飛び越えて狂気を感じます。
また、職場である大学でも同僚や一部の生徒と対立してしまい窮地に立たされることに……。
この作品は、そんな辛い結婚生活や職場での冷遇など困難な出来事がかなりのボリュームで描かれますが、マイナスなことばかりのように見えて、読後感は不思議と悪くありません。
なぜなら、その境遇はストーナーがすべて自分が選び取った道であり、やりたいことをやり遂げた幸福な一面も見えてくるからです。
それは、教師としての仕事や、生涯の友人との出会い、情熱に身を焦がした恋や、子供との生活など様々な場面で見られます。
過酷な出来事がストーナーを襲いますが、それに耐え忍び、胸に抱え込んだ静かな怒りや悲しみはやがて浄化され、物語の最後に残るのは柔らかな温もりだけです。
ただ困難で不遇なだけの人生ではとても味わえないような安らぎがこの作品には描かれています。
50年以上前に刊行された作品とは思えないリアリティー
「ストーナー」は50年以上前に刊行された作品ですが、現代社会にも通じる悲しみと幸せの形が描かれた作品です。
妻のヒステリーやうまくいかない子育ての問題、職場での人間関係の崩壊など、誰しもが直面し得る人生の困難な課題が次々と押し寄せます。
50年以上前も同じような問題があり、同じような悩みを抱えていたのかと思うと、昔の人々の生活が身近に感じるほどです。
私とストーナーは考え方も境遇も共通する項目がほとんどないのですが不思議と共感を覚え、彼の行く末に期待と不安を掻き立てられながらページをめくる手を止められませんでした。
ドラマチックな展開はなく、淡々と進められる物語にこれほど同調できるのは、この物語にリアリティーがあって、昔も今も変わらない普遍的な思いが綴られているからこそ。
50年以上前に刊行された外国文学と聞くと「読みづらいのではないのか?」と身構えてしまいますが、全くそんなことはなく読むほどにのめり込む作品です。
翻訳が美しく素晴らしい!
この作品は翻訳が素晴らしいことも読みやすかった要因の1つです。
第1回日本翻訳大賞「読者賞」受賞!と帯に書いてありましたが納得しました。
原文が英語とは思えないほど日本語が流暢で美しいです。
静かで熱のこもった作品の世界観が実によく表現されており、今は亡き翻訳家の東江一紀(あがりえかずき)さんの情熱が伝わってきました。
どんなに原作が良くても翻訳に問題があればこれほど感銘を受けることはないと考えると、「ストーナー」は原作と翻訳が素晴らしい相乗効果を生み出した作品だと言えます。
ベストセラーになるまでの軌跡
「ストーナー」は1965年にアメリカで刊行されましたが、当時は全く売れず、著者の死後はほぼ忘れ去られていました。
ところが、2006年に復刊されたところから大きく運命を変えます。
フランスの人気作家アンナ・ガヴァルダが復刊された本を読み「どうしても翻訳したい」と出版社に持ちかけ、2011年に翻訳版を出版した結果フランスでベストセラーに。
その後口コミで評判は広がり、オランダ、イタリア、イスラエル、スペイン、ドイツでも翻訳書がベストセラー入りを果たします。
その後、イギリスの作家イアン・マーキューアンがBBCラジオに出演し「ストーナー」を絶賛したところ本国アメリカでも火がつき、Amazonでわずか4時間の間に1千部以上を売り上げるという驚異的な記録を叩き出しました。
日本語に翻訳されたのは2014年のことで、名翻訳家と称される東江一紀さんが癌と戦いながら生涯最後の仕事として翻訳し、ついには最後の1ページを残して息を引き取ったと伝えられています。
この逸話も「ストーナー」の物語とリンクするところがあり感慨深いです。
人が生きることの尊さと、生涯の仕事に邁進していく気概を感じずにはいられません。
まとめ
「ストーナー」は文喫の“選書”サービスを利用して「泣ける本」をリクエストした際に選んでもらった作品です。
ドラマチックな展開はなく、平凡な男のありふれた人生が淡々と描かれます。
平凡とは言えストーナーの人生には大小様々な困難が降りかかり、決して平坦な道とは言えません。
どんな逆境にも耐え、静かに戦いながら淡々と歩んでいく彼の生き方は実直で、自分のやるべきことを全うしています。
悲しいまでに純粋なストーナーの生き方にもどかしさと共感を感じ、ページをめくる手を止めることができませんでした。
50年以上前のアメリカで出版された作品ですが、読むほどにのめり込み、現代社会においてもリアリティーを感じさせる悲しみと幸福が描かれた作品です。